昭和40年代頃、大阪万博(1970)の前後に業界は発展期を迎えます。
地方問屋だけでなく、大手が相次いでカーテンの見本帳を発行し始め、商社も参入し始めて業界は大盛況となりました。
経済成長と共に公団住宅やニュータウンなども各地方で雨後のタケノコのように出現し、作れば作るほど売れていく時代で、更に今は無きダイエーを筆頭とした量販店も既製品の取り扱いを始め、産地やメーカーは生産キャパの陣取り合戦となりました。
当時は働き手も十分に確保できたため、生産者を筆頭に業界全体が時代を謳歌したように思います。
勿論、弊社もこの時代を同様に謳歌し多方面からのOEM生産を受託し売り上げは増加していきました。
今考えればこの時代に、楽をして大量受注を受ける癖がついてしまい、長い目で見れば少し間違いだったかもしれません。
1980年代に入ると、ヨーロッパで新しい機械設備の導入が進み、ドイツを中心に華麗な柄が開発されていきます。
日本からも各社ヨーロッパの展示会へ柄を盗みに・・・もとい勉強をしに足繁く通った時代だったように思います。
つづく